
私から繰り返し言っていることは、マインド、つまり、心にはいくつものレベルがあるということです。
ここで私が言っている心・マインドという言葉は、心も意識も、そして、体験全体も含みます。頭と心と全部含んでいると言ったらシンプルかもしれません。
よく心や意識を指す例として使われるのが「海」です。特に海の表面には波が立つことがあります。この波の部分というのは、意識の中では表面的な部分、つまり、おしゃべりであるとか思考の部分です。
私たちの多くはその人生のほとんどを、その表面的な部分、おしゃべりの部分で過ごしています。実は、私たちの心や意識にはより深い部分があって、海でいうと本当に深い海の底の部分です。そこは動きはありますけれども、ゆっくりと微細な動きです。
ここは意識のより深い部分のことで、気づきとも言います。つまり、概念よりもより深い部分です。つまり、思考を超えた部分です。
常にその部分は私たちの中にあるんですけれども、私たちが気づいていないだけです。なぜかというと、微細な部分だからです。
そこに気づく方法としては、先ず、自分がじっとしなければなりません。私たちが、ただ、じっと静かにすることで、より深い意識の部分、awarenessと言われている部分、気づきと言われている部分にアクセスすることができます。
なので、今からする瞑想は、ただ寛ぐということの瞑想です。いつもこの瞑想では、寛ぐというところと、注意深くいるというところのいいバランスを取っていくということになります。注意深くありすぎると、硬くなってしまうからです。寛ぎすぎると、いびきをかいて寝てしまいます。その2つのバランスを取っていきます。なので、寛いでリラックスしながらも、注意深くいてください。
ブッダの教えでは、これを楽器の弦に例えています。弦を締めて引っぱりすぎてしまうと切れてしまう。今度は、弦を緩めすぎてしまうと出したい音が出ない。
それは瞑想に限った話ではなく、バランスを取っていくというのは、人生全般に言えます。硬くなったり緊張しすぎないこと。寛ぎはするんですが、ただ年取った人がビーチで寝ているような状態にはならないようにする。
心配しなくてもいずれそこには行きますので。今はバランスを取るということをしてみましょう。
− 2017年5月開催「医師および医療従事者のためのロジョン(慈悲)とメディテーション(瞑想)トレーニング」より(講師:バリー・カーズィン)