内なる幸せを育む

幸せというのはいくつか種類がありますけれども、一番単純に言うと、表面的な幸せと深いレベルの幸せです。

表面的というのは五感によるもの、感覚的な快楽であるとか気持ちよさであって、より深いところでは意識のレベルになります。ここはなかなかややこしいところなのですが、幸せと自分の快楽という楽しみを混同している場合があります。快楽としての感覚が間違っているわけではなく、それには限界があるというだけです。ただし、内なる平和である幸せということを話すときは、ただ単に快楽や気持ちよさではないということです。

内なるwell beingというのは五感とは独立したものです。

みなさんにちょっと気恥ずかしいかもしれない質問をしてもいいですか。そんなに気にならないという人もいるかもしれません。シャワーを浴びながら実は歌いますという方、どれぐらいいらっしいますか。時々でもいいです。シャワーを浴びながらつい鼻歌を歌っているときというのは、何となく内側でハッピーな感じがしている、幸せな感じがしているときかもしれません。なので、快楽や気持ちよさとは異なる幸せのことを指しています。

通常は何か気が昂って興奮するような状態をハッピーだと思っている場合が多いんですけれども、ただそれは何かアドレナリンが出るような束の間の体験であって、常に変化してしまいます。ですので、興奮というのは気持ちいいというよりは、自分にとっては揺り動かすような体験になります。興奮するような状態というのは、大抵、盛り上がって盛り下がるという波があります。

ただここで言っている内なる幸せというのは、もっと安定したものです。何か快楽や楽しみというのは束の間で、儚いものであって限界があります。

これはみなさんに考えてほしい問いかけですので、後でを思い返してみてください。

自分の幸せがどれほど自分の思考や気分や感情というものに依拠しているのか。たとえば、他者に好かれているかどうかでどれほど幸せが決まっているのか。

あるいは、どれほど評価されているか、どれほど理解されているのかで、自分の幸せが決まっているのか。

2017年5月開催「医師および医療従事者のためのロジョン(慈悲)とメディテーション(瞑想)トレーニング」(聖路加国際病院)より(講師:バリー・カーズィン