「瞑想とは何か・・3つの学びの段階」2018/11/10 瞑想プログラム報告

2018年11月10日午前、Dr. バリー・カーズィンにより、東京都内にて一般の方に向けた瞑想プログラムが開始されました。

今回のテーマは「平和の本質 – Peacefulness 〜 静けさ、内なる平和、喜びを見つける 〜 」として、瞑想を通して私たちの中にある平和や静けさ、喜びに触れていく時間となりました。

今回初めて参加される方もいらっしゃり、まだ瞑想をしたことがない方が1/3ほどのようでした。色々な経験の方が共に瞑想を行うことで互いに学び合うことができるので、Dr. バリーからも「勇気をもってきてくださってありがとうございます」と感謝を伝えさせて頂きました。

そしてまずは、これから行う瞑想とは一体何なのか、という根本的な部分について、Dr. バリーからお話がありました。

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「まず瞑想とは何か?ということ、特に瞑想によってどのように幸せになるのか?ということについてお話ししたいと思います。

瞑想とは何か、みなさんに聞いたら一人ひとり違う答えが返ってくると思います。
なぜなら瞑想には宗教や心理学など、様々な伝統があり、それぞれの先生が違ったアプローチを持っているため、知れば知るほど混乱することがあるからです。

私からは今日、仏教に根ざした瞑想とは何か?ということについてお話ししていきます。

より良い人間になる、幸せになる方法について、ブッダは『トゥ・サム・ゴム(聞思修)』と説きました。

『トゥ』とは聞、つまり聞くということです。
まず私たちは、瞑想は何かを聞いて、理解する必要があります。
そのためには心について学ぶことが必要になりますが、いきなり全てを知るのは難しいです。
例えば自分が初めて行く街だと、どこに何があるかを確認していきますね。食べ物が必要だとしたらここ、衣服が必要だとしたらここ・・という風に、どこに何があるかを知っていく全体図が必要になるのですが、それは心にも当てはまります。
そうやって、私たちがより健康でより良い人間になる道すじを知っていくということです。

次の『サム』とは思、つまり考える段階になります。
まず聞いて知的な理解を増やしてから、次に考え、分析することで、自分の人生に当てはめていきます。特に否定的な感情をいかに減らしていくか、ということに繋げていきます。

そして『ゴム』というのは修、つまり瞑想するということです。

こうしてトゥ(聞)の段階で学び、サム(思)で考え、ゴム(修)で瞑想することによって、自分の中でより理解を深めていく・・という流れになります。様々な伝統で異なるアプローチがありますが、本来ブッダが教えた最初の段階がこの3つの教えです。

先日、鎌倉の円覚寺で横田南嶺老師とお会いしてきましたが、臨済宗では聞くことよりも、心を観察する座禅(修)に重きがあります。チベット仏教では通常は聞いて、考えて、瞑想するという段階を辿ります。

ダライ・ラマ法王も勉強する、ということを非常に大事にされます。ここでの勉強は、学校の教室や資格を取るための勉強とは違います。もう少し深い、真剣な学び、人生を通じた学びと言えるかもしれません。実際ダライ・ラマ法王は常に勉強されており、ダラムサラでお訪ねするときは、いつも必ず目の前に経典やテキストがあり、それを読んで勉強されています。

この勉強には様々な段階があり、聞く、分析する、瞑想するという段階を辿った後、再び重要な経典に戻り、自分が理解したことはあっているのだろうか、ということを確認する勉強に入っていくのです」

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「私からの瞑想の定義としては、より幸せになるために心を訓練すること、と言えます。
ここで重要なのは、” 心、訓練、幸せ “ということです。

みなさんの中で幸せになりたい方はいますか?・・・全員そうですよね。

体や心の痛み、苦しみがあったら、それを取り除きたいと思うのは当然です。それには、瞑想が助けになります。そこには土台となる勉強があり、分析していくというのが重要です。

ではこれから早速瞑想して、この場ですぐに幸せになりましょう。ただ、すぐには効果はないかもしれません。実際は瞑想を始めてすぐに幸せになるわけではなく、まずはネガティブなものが上がってくる、ということがあります。それは思考や感情、感覚などですが、それが湧き上がってきても大丈夫です。そういう時は、ネガティブなものをただそのまま、あるがままに任せます。そこに自分から関わって行く必要はありません。それが起きるのは健康的なことなんです。
なぜなら私たちは、通常それらを自分の内側に押し込めています。なのでそれが出てきたということは、解放できる段階になってきたということなのです。

今回の来日プログラムでは慈悲に力を入れていて、慈悲による変革 “コンパッション・イノベーション”という言葉も使いました。
では、「変革」とは何を意味しているでしょうか?それは新しい人生への変革です。まるで生まれ変わるような感覚で、より幸せになっていく道を見つける、そういう人生になるということです。それを慈悲を通じて行っていきます」

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それから、実際に いくつかの瞑想を行っていきました。

瞑想には大きく分けて2種類あり、1つは集中する瞑想、もう1つは分析する瞑想です。

まず最初に行ったのは、集中する瞑想「シャマタの瞑想」でした。

この瞑想では、呼吸する時、鼻の下の部分に意識を向け続けるのですが、多くの場合、その間も私たちの意識はせわしなく動き、逸れては戻す、逸れては戻すということを何度も繰り返すことがあります。

しかしDr. バリーは、「その逸れたら戻す、というのが心の訓練になり、それこそが瞑想なのです」と言います。なので、逸れてしまったからいけない、と自分を責める必要は無いということになりますね。

そして実際に行う時には、力を抜いてリラックスすることと、注意力を保つということのバランスを保っていくことが重要になっていきます。リラックスしすぎると眠くなりますし、緊張しすぎても固くなってしまいますので、自分の状態をよく観察してちょうど良いところを探していくことになります。

次に行ったのは、トンレン瞑想(慈悲の瞑想)です。

「トンレン」とはチベット語で、「取り去り、与える」という意味になります。何を取り去るか、それはすべての人の苦しみであり、何を与えるのかというと、愛や智慧になります。

実際には、息を吸うときに他の存在の苦しみを取り去ることをイメージし、息を吐くときに、すべての存在に愛と智慧を差し出して満たしていくイメージをする瞑想です。この瞑想をすることで、自分の中の慈悲をさらに育んでいく助けにもなります。

最後に行ったのも慈悲の瞑想のひとつであり、自分から愛と智慧の金色の光を放ち、自分の周りから、遠くにいるすべての存在までを満たしていく、という瞑想でした。

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瞑想の後、参加者の皆さんから色々な質問を頂き、Dr. バリーがそれに答えていく質疑応答の時間がありました。実際に出たご質問とその答えを、いくつかご紹介しますね。

Q. 瞑想の時、瞼を開けているのが難しいのですが・・

「私たちの瞑想では、できるだけ瞼を開いたままで、目の焦点をぼかして瞑想をするのが良いとお伝えしていますが、その理由としてダライ・ラマ法王は、定期的にその方法で瞑想をしていると私たちの意識がクリアになるから、と言っています。
私の経験でもそれは当てはまり、目を開けたまま行うとより意識が明晰になる感じがしますが、目を閉じていると意識がぼんやりとする感覚があります。

なので出来ればそうして頂いて、どうしても無理なら閉じても大丈夫です。一番肝心なのは自分の心の中がどうなっているかなので、気が逸れたら戻す、ということができるのが大切です。
私たちは通常、自分の外側で何か起きるとそこに連れ去られて戻ってくることがありません。例えば、犬や猫が自分の尻尾を追いかけるようになってしまっているのです。
なので今やっているように心を訓練して、自分で手綱を握れるようにする、というのが目的です。自分が心をコントロールできるようになれば、それを使って慈悲の実践をできるようになります」

Q. 瞑想の時、目の焦点をぼかして、一点を凝視しないようにするのはなぜでしょうか?

「まずは先ほどの話でいうと、目を開けていられるという前提があってですが、一点を凝視しないでいるというのは、目に入ってくるものに気を逸らされないためです。

例えばシャマタの一点集中の瞑想では、自分の意識は呼吸においておきたいですよね。その時、目を開けて目の前にあるものを凝視してしまったら、あの模様が綺麗だな、とかそういう方に意識がいってしまうので、呼吸から気が逸れてしまいます。なので、自分が見るものに気を逸らされないという訓練になるわけです。
他にも耳に聞こえてくる音についても、「あ、鳥の声だ」「あれはあの鳥に違いない」とか、そこからどんどんストーリーが出てきしまうことがあります。
思考も同じで、「昨日私は〇〇にこう言ったんだっけ・・。もっとこう言えばよかった・・」というように色々な考えがどんどん出てきたりします。

そのように私たちの五感に入ってくるものに惑わされないということを練習をしていくわけです。
私たちがここで何をしようとしているかというと、常に外側に向いている意識を内側に向けるということ、そして自分の心とどうしたら穏やかに平和にいられるか、ということを学んでいるのです」

そして、逆にDr. バリーから参加者の皆さんに質問がありました。

「みなさんは、どうして瞑想に興味があるのですか?」

それに対して、参加者の方々から様々な答えがありました。

「瞑想をしないと、毎日動き続けているので、考えるのを止められないから」

「あらゆる問題をつくりだすのは心なので、自分の心をしっかり見ていたいから」

「瞑想をしている時は、素の自分になれるから」

「瞑想をすることで、穏やかでいちばん良い状態の自分になれるから」

他にもきっと、ぞれぞれ色々な理由があると思います。みなさんだったら、どのような理由が思い浮かぶでしょうか。瞑想に、どのような意味を感じていらっしゃるでしょうか・・?

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瞑想というのは自分に優しくするとても良い方法です。瞑想をしていくことで、いらいらが減っていったり、いやだなと感じることも減っていくと思います。
それは、瞑想を通じて自分に優しくできるようになるからです。自分に完璧を求める姿勢を減らせると、いらいらも減っていきます・・。もちろん、時間がかかることではあります。

通常私たちは外側のことに反応することが多くあります。瞑想をすることで、外側で起きることに反応しづらくなると、いらいらすることも減っていくのです」

これからも、こうしてご一緒に聞き、考え、瞑想していくことでみなさんと気づきを深めていけたらと思います。
どうもありがとうございました。