
「瞑想」と言うと、チベット語では「ゴン(gom)」と言います。それは文字通りに訳すと「馴染む(なじむ)」ということなんです。
何に馴染むかというと、「善いこと」…善であるとか、「善きこと」…健全なこと、そして「全体性であること」…そういったことに慣れ親しんでいくということを指しています。
そして、瞑想というのは、私たちが心の訓練をするということなのですが、私たちが、より「善」、あるいは、「自分の中の善きこと」に、馴染ませていく訓練をするということなんです。
体を鍛えるのとそれは似ているところがあります。体を鍛えるといった時に、例えば、マラソンをするのであれば、マラソンの大会に登録することはできますね。しかし、ゼッケンの番号をもらったからといって、走れるわけではないわけです。訓練をする必要があります。
同じ様に、心をより善き方向に、ポジティブに訓練しようと思ったら、そのための実践が必要になります。体と同じ様に、やはり週に4〜5回は定期的に訓練するのですが、心に関しても同じことが言えます。
ですが、多くの人が私に「時間がありません」と言います。それは、皆さんの選択です。
今朝、歯を磨かなかったという人はどれぐらいいますか?ほとんどの方が今朝、歯磨きをしましたよね?
でも、「時間がない」のですよね?
人によっては歯磨きしながら他のことをやったり、歩きながら色々なことをやっていると思います。
そうだとしたら、「時間がない」といっても、優先順位の高さ/低さ…ということになります。
ですので、定期的に瞑想をするということを、自分に何とか納得させる必要があるわけです。
それは、心の健康のためはもちろんですけれども、体の健康のためにもなるからです。
瞑想の話をすると、10年前は、ただ笑われるだけでした。しかし今は、大きな見出しになって「瞑想」が語られていますね。
瞑想は、自分の心をより善い、ポジティブなものにするものなのです。
₋ バリー・カーズィン
2019年3月「瞑想リトリート」(東京)より