自己実現/人のための活動のベース

質問:何かをするうえで、自己実現や人のために慈悲を…と考えると、さらに訓練が必要な気がしています。質問ですが、自己実現とか慈愛の活動をするうえで、トレーニングすることは、できますか?

バリー・カーズィン:
あります。(プログラムの場で)実践することは、そのためのベースになることに当てはまります。

より自分が愛情深く、慈愛の活動をしようとすると智慧の瞑想が必要になります。

菩提心のような広大な実践をするには、智慧の学びと実践が必要です。
そのためには六波羅蜜(6つの完成の道)が必要です。

ひとつは、与えるということです。与えるには、布施などいろいろあります。(挨拶、笑顔、必要としていることを与える、衣食住お金を含めて誰かに差し出す。優しさや愛を与える。敬意を差し出す。さまざまな種類の行為が当てはまります。)

2番目の実践は忍耐の実践です。怒ってしまう傾向への対抗策になります。怒ってしまうと相手に害を与えるので、防ぐためにトレーニングが必要です。ただ忍耐とは、状況によってはタフでならなければならない。相手に対峙する強さが必要ですが、ここでいうタフさとは怒りをもって行うものではありません。あくまでも、心の中で相手への敬意は忘れずに、愛と慈悲をもって、そして強く対峙することは忍耐に含まれます。

3番目の実践は、害を与えない行為です。倫理的な規律とも言われます。この中心は正直さです。

4番目はあきらめないことです。自分で続けていくことです。良い活動をしている場合、途中であきらめるとそれが癖になります。はじめてはあきらめる…と癖になります。より大きいプロジェクトをするとき、それはいい人間になること/悟りですが、それをあきらめてしまいます。

5番目は、自分で自分を妨げないことです。自分が集中できるようになると、より役に立って、自分で止めないでいられます。より集中力がついていると、心の中が安定して破壊的な状態になりません。

6番目が智慧です。

この6つが、どのように働くかと言いますと、「与える」ということを例にすると、誰かに笑顔を差し出すとします。自分が差し出すという動機で、笑顔を差し出します。ときには社会的にふさわしいから笑顔をしますが、それではなく、真の友情のこもった笑顔です。もうひとつ、相手から見返りが欲しくて笑顔になるのでもありません。

ここでいう「与える」とは、心のこもった優しさを差し出したいということです。
与えることには3つの領域が関係しています。笑顔を見せる行為者という領域。笑顔になるという動機、行為そのものが2番目の領域です。それから行為者に対して受け取り手が居ますので、受け手が動物でも人でも、それが3つ目の領域です。

この3つの領域が、現実ではないことを理解します。私自身も一つの概念である、にっこりする行為そのものも現実ではない。3番目の領域の、人であれ人間以外の動物であれ、何であれ、受け手に過ぎない、現実ではないということです。

「概念にすぎない」「現実ではない」ということは、わざとらしく感じるかもしれませんが、最初は習慣として行います。これは、薬物のようなものではない、健全な習慣です。すべての苦しみから解放されることになるからです。そういう意味で薬物より健全に解放されます。文献を読むと、薬物の常用者は一時的にほっとするけれど、だんだんと薬物がなくなってくると、どうしても欲しくなって強い欲求が起きます。そして、盗みや人を害するなど犯罪をして何とか手に入れようとします。それは不健全な癖です。

健全な習慣とは、それとは違って、一時的な解放ではありません。

₋ 2018年11月開催「瞑想リトリート」より