「心を洗う時間」2019/11/18 瞑想プラクティスグループ開催報告

先日11月18日に「瞑想プラクティスグループ」を開催しました。今回は、月曜日の夜のお仕事帰りに、会社員の方々にご参加いただきました。
Dr.バリーはアメリカ滞在中で時差があったため、Dr.バリーのzoomでのティーチィングは行わず、スタッフのリードのもと瞑想とグループディスカッションを行いました。

瞑想は、瞑想をするための準備段階としての「9ラウンドの呼吸」(呼吸のヨガとも言われます)、「シャマタ(一点集中)の瞑想」、「優しさの瞑想」(全ての人から自分に向けられた優しさに気づく分析的瞑想)を行いました。

さらに、9月から継続している『入菩薩行論』「忍耐(Patience)」の章についてのグループディスカッションを行いました。「忍耐」の章は『入菩薩行論』の中で特に重要だとDr.バリーからアドバイスがあり、今年の9月から学びの機会を持つようになりました。
「瞑想プラクティスグループ」に初めて参加してくださった方もいらしたので、「忍耐」の章の始めからテキストを読み、前回よりも少し先までテキストを読み進めてから、ディスカッションを行いました。

テキストの抜粋と参加者の方のコメントを少しご紹介します。


・「忍耐」の章の10の偈は、『入菩薩行論』の中で特に有名なものだが、この偈が「忍耐」の章に入っているのが深い。思考の連鎖によってアンハッピーになりやすい。心配に打ち負かされないということを言っている。

<10の偈>
Why be unhappy about something
If it can be remedied?
And what is the use of being unhappy about something
If it cannot be remedied?

もし改善することができるなら、なぜアンハッピーになるのだろうか?
もし改善することができないのなら、アンハッピーになって何の役に立つと言うのか?

・14の偈が自分に響いた。人からのきつい言葉など、小さな危害に傷ついてしまうことがあるため。

<14の偈>
There is nothing whatsoever
That is not made easier through acquaintance.
So through becoming acquainted with small harms
I should learn to patiently accept greater harms.

慣れ親しむことで、簡単にならないことはない。
小さな危害に慣れることで、大きな危害も根気強く受け入れられるようになる。


「優しさの瞑想」のシェアリングでも、参加者の方々から面白く、興味深いコメントをシェアしていただきましたので、Dr.バリーにも伝えたいと思いました。

全体を通してのご感想として、「こうして皆さんで瞑想し、このテキスト(『入菩薩行論』「忍耐」の章)を読むと心が洗われるような思いでした」というお声もいただきました。

私たち自身も、日々日々、心を洗うよう、少しづづでも学びと実践を続け、今後も瞑想と意識や心の学びの場作りを継続して参りたいと思います。

次回の「瞑想プラクティスグループ」は2020年1月22日(水)に中央区で開催予定です。
申込みの準備ができましたら改めてご案内致しますので、宜しければご予定に入れておいて頂けましたら幸いです。


<当日の流れ>
19:00〜 イントロダクション(初めてご参加の方に向けて、瞑想プラクティスグループについての説明)
19:10〜 9ラウンドの呼吸
19:25〜 シャマタ(一点集中)の瞑想の実践・シャマタの瞑想についてのシェアリング
19:45〜 『入菩薩行論』
ーDr.バリーのレクチャー動画視聴(2019年9月11日に開催したプログラム『入菩薩行論』より、『入菩薩行論』の紹介の箇所を抜粋して視聴)
ー『入菩薩行論』「忍耐(Patience)」の章1〜25の偈(怒り、敵、苦しみなどに対しての忍耐)についてのグループディスカッション
20:30〜 休憩
20:40〜 優しさの瞑想の実践・優しさの瞑想についてのシェアリング
21:00    終了