「智慧とは、最も深淵な慈悲の形」2019/12/8 シャーンティデ―ヴァ『入菩薩行論』開催報告

今月12/8(日)に、Dr.バリーによる シャーンティデ―ヴァ『入菩薩行論』& 瞑想 が開催されました。当日のティーチング内容を、一部ご紹介します。


私達は自分達が思っているようには、そこに存在しません。

たとえば、私達が見ている「陽ざし」は概念や言葉であり、現実ではありません。また、私達は常に自分の事を深刻に捉えすぎます。私たちは自分の価値を低く見ています。何かに非常に執着してしまいがちです。
またある人は恐れを忘れるためにアルコールに頼っても、酔いが醒めたら、また恐れが出てくる。それは表層的なバンドエイドで、一時的な応急処置でしかありません。それが悪い訳ではないですが、限界があります。

ここで、仏教の智慧が必要となります。悟りとは大空を羽ばたく鳥のようなものです。鳥は大空を羽ばたくために、2つの翼を広げています。いわば、この2つの翼は「智慧」と「慈悲」です。慈悲は、仏教では独特の意味を持ちます。慈悲は苦しみを減らし、取り除くものです。

仏教では、苦しみには3つの種類があると考えています。
まず一つ目は最も明らかな苦しみで、誰もが知っている身体的、心理的苦しみです。

二つ目は変化の苦しみというものです。全ては変化し、そこには苦しみがあると考えています。
(1) 快であったものが、苦しみや痛みに変わるという苦しみ。
(2) 単純な痛みや苦しみ。例えば、小さな子供が母親に「お母さん、もっとチョコレートケーキはないの?」とせがむが、もうなくなってしまったので、悲しいという苦しみ。

さらに三番目の苦しみは最も分かりにくいものですが、現実を歪んで間違って捉えているという苦しみ。これを無知無明(むち むみょう)と言い、最も深い苦しみの事です。ただ単に何かを知らないという事ではなく、存在論的な苦しみです。
私達は通常、自分の現実を知っているつもりですが、実は知りません。自分が何者であるかを本当には知らないのです。この「知らない」という言葉をチベット語では「マーリッパ」と言います(マー(否定形)+リッパ(知っている))。無明とは「正しくは知らない」という意味です。私達は自分という現実を「正しくは知らない」のです。

そして、マーリッパ(知らない)の反対は、智慧(知っているという意味)です。
智慧は最も深淵な慈悲の形です。慈悲は苦しみを取り除きます。最も深い苦しみは無知無明です。無知無明を克服するのは智慧です。

よく噛みしめて、じっくりと考えて、理解してください。智慧という扉を開けるのに、少し陽が差し込んできたことでしょう。

何故、智慧が大切なのでしょうか?
愛と慈悲のために、です。

今から1300年前にシャーンティデーヴァが書いたのが『入菩薩行論』です。ここには、より深い幸せを求める方法が書いてあります。

シャーンティデーヴァは、今から1000年前~2000年前のインドにあったナーランダ僧院大学の学僧でした。そのニックネームは「ブスク」(寝て、食べて、トイレに行くだけの人という意味)というもので、周囲からは、いつも寝ている人と見られていました。しかし、実は、シャーンティデーヴァは夜、小屋で書き物をしていました。昼間もただ寝ていたのではなく、明晰夢を見る事ができ、また、夢の内容を自分で変える事が出来たので、いわば、夢のなかで修行をしていました。

ある時、学僧が自分の学んでいる事について発表する機会がありました。多くの学僧達はシャーンティデーヴァを厄介者と見ていましたので、どうせ、シャーンティデーヴァの発表は大した事がなく、これを機会に彼を追放出来ると思いました。
ところが、シャーンティデーヴァの発表は実に素晴らしいものでした。多くの学僧は、昔から教えられている古典の内容に基づいて自分が学んだ事を発表するのでしたが、シャーンティデーヴァは自分の独自の理論を発表したのです。それが、『入菩薩行論』(英訳題を日本語に直訳すると、『菩薩の生き方へのガイド』という意味)です。

菩薩とは菩提心を実践している人の事です。菩提心とは偏りのない慈悲の事です。
慈悲の一部が智慧であり、智慧とは、最も深い苦しみ、つまり自分を知らないという苦しみを取り除くものです。

この『入菩薩行論』には、より深い幸せを求める方法が書いてあります。但し、書いてある事がよくわかるまでには長い時間がかかります。恐らく一生かかる事でしょう。あるいは、一生では足りず、何生もかかるかもしれません。だから、固く身構えずに、まるでピクニックに行くような気分で学び続けて欲しいと思います。

この本は10章構成で、第1章~第9章は具体的な事柄が書かれており、第10章の内容は廻向(えこう)です。第1章~第9章は、その内容から3区分になり、
第1章~第3章は慈悲を実践するための意欲が沸くような内容、
第4章~第6章は育んだ慈悲を維持することについて、
第7章~第9章は更に慈悲を高めるためのことについて、特に第9章は智慧について書かれてあります。

この学びはあせらずに進めてください。これは小説を読むのとは違います。何回も読んで理解していくものです。まずは知的に理解するだけでも心の構造を変えていきます。だから時間はかかります。

ーDr.バリー・カーズィン

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参加者の声

・全部自分の事と考えてしまうことがエゴだったり自我であると考える事。いつもニュートラルで公平でいたい。

・概念的、言語的な真実、実体ということだけでなく、より深いところでの真実、実体について、理解、気づいていけるようにありたいと思いました。が、まだまだ理解が難しいです・・。

・PPIは何回も繰り返し学ぶことが大事だと思いました。最後の思考を使った「Where am I? Who am I ?」の瞑想はとても役に立ちました!

・具体的な理由はよく分かりませんが、私にとって(人生にとって)とても必要な学びだと感じました。継続して学んでいきたいと思います。

・「こうではない」を重ねた後に残った微細なものが存在しているという説明、頭ではよくわかりませんが、印象的です。


Dr.バリーは次回2020年4−5月に再来日予定し、こちらの続きを学んでいきます。

また、1月の瞑想プラクティスグループでも自分たちで学びを進めており、次回は慈悲を育むためにもっとも重要とされる6章Patienceについて深めていきます。
ご興味のある方は、ぜひご一緒しましょう。