「私たちの初期設定は何か?」

どんな実践をするときも、「私たちの初期設定は何か?」ということです。私たちの初期設定は、幸せであり、慈悲であり、愛であるといわれています。

ですが、私たちの実際の体験とは異なっていると思います。実際に、人との関りの中などで、私たちが経験するのは、相手から攻撃されたり、暴力的なふるまいをされたり、あるいは、おごりを感じたり、自分で自分を疑ったり嫉妬心を持っているということだと思います。

これは科学の中でも様々な議論がされているところで、議論しつくされていませんが、とくに子どもの研究に関わる方たち、心理学や行動科学に関わる科学者たちの間では、生まれながらに持つ性質と言うのは、愛や慈悲であるということです。

アメリカのウィスコンシン州のウィスコンシン大学マディソン校で行われている研究は、生後4~6か月の子どもの研究です。まず生後4~6か月の子どもたちは、言語が科発達していません。ある漫画をテレビで見せます。それをみてどのように反応するかという研究です。

最初のアニメーションは、大きなボールがあって、ふたりのうち一人の子どもが、坂をボールをもって登らせようとします。そのアニメで、もう一人の子どもが登場します。ひとりめのボールを持ってい坂を上るのに苦労している子どもを手伝うという場面です。そして、そのアニメの子どもを見ている実際の子どもが、どのように反応すかみます。その科学者が観察するところによると、実際にテレビを見ている子どもは、助け合っている場面に身体を近づけ喜びます。

そして、違うアニメーションを見せます。出だしは同じで、小さな子どもがボールをあげようと坂を上っています。2番目のビデオでも、もうひとりの子どもが登場します。2番のアニメでは、二人目の子どもが邪魔をします。同じように、テレビを見ている子どもが観て、どんな反応をするかみます。同じ年代のさまざまな子どもにみせて実験をしました。その2番目の邪魔をしているビデオには、子どもは眉間にしわをよせ、画面から離れ、あきらかに機嫌がよくなくなる、ということです。

そのリサーチに脳科学者、発達心理学者も加わり、出した結論は、私たちが生来もっている性質は、愛や慈悲ということです。

そのように、生まれながらの状態としては、愛や慈悲の状態であると科学者が言っていることは、インド哲学やインド宗教において言われていることと一致しています。インド哲学においても、人は元々は愛や慈悲の状態であるけども、社会化するにしたがって、社会で成長するにしたがって、自己という概念を発達させる。

自己という概念に執着すると、様々な反応が起こってきます。たとえば、自分にとて脅威であることがおきれば、それが人であれ物であれ動物であれ、攻撃的になる、自分から遠ざけようとする。自分にとって助けになるものであると思えば、それを近づけようとする、執着する。それによって、痛みや苦しみが生まれることになります。

エゴ、自我が発達するにしたがって、そういったことが起こることが心理学でも言われています。そのように自己、自我というものが発達してきて、そこに執着することで生まれる苦しみは、興味がある方は「シャーンティデ―ヴァ『入菩薩行論』」の中で、その章も扱います。

バリー・カーズィン
(2018年11月「瞑想リトリート」より)