医療従事者の燃え尽きについて〜共感と慈しみの違い

質問:
病人に対し、家族であれば、場合によっては、ある程度、スペースや時間を空けながら、世話をすることも可能だと思うんですね。でもそれがプロフェッショナルな医療従事者のような場合は、難しい患者さんでも、常に看なければならない状況もあります。いま問題になっている医療従事者の燃え尽きというのは、悲しみを受けすぎてしまって、悲しみに自分自身が巻き込まれてしまうことだと思います。あらゆる状況が分かっていても傷付いてしまう状況にあるときに、自分が中立の立場というか、自分が傷を受けないための実践はありますか?

Dr.バリー・カーズィン:
素晴らしい質問をありがとうございます。共感と慈しみの違いについてお話したいと思います。それを理解すると、少しでも燃え尽きを防ぐことにもつながるかと思います。共感というのは、相手の方が感じているように自分も感じるということです。例えば、私たちが、何か癒しに関するような、人を助ける仕事に就いている場合、相手の方が病気を抱えている場合、相手の方の怒りとか気分の落ち込みを自分の中に取り込みやすいと思います。そういう状態であることが続くと、燃え尽きに行き着きやすくなります。

そこから自分をより共感を超えたところまで成長させるようになっていく、それは何かと言うと、愛と慈しみです。それができると、少なくとも少しは自分の燃え尽きを防ぐことができます。この慈しみというのは、相手の方が苦しみから解放されることを願うということであって、自分に相手の方の苦しみをただ取り入れることではありません。実は、この慈しみというのは、自分の中に起きるのはほとんど喜びと幸せだけなんです。私たちが相手の苦しみが取り除かれますようにと願うとき、それに対して、何かしら助けになることができているということに、幸せな気持ちがする、喜びが溢れてくることがあります。ただしそこには、単に喜びだけではなく、ほんの少しの悲しみも混じり合っています。なぜならば、やはりそこには相手の方の悲しみが含まれているからです。

それが第一ですが、第二としては自分のケアをするということです。自分に優しくするということです。患者さんを愛する気持ちと同じような愛を自分にも向けるということです。これは、医療従事者によくあることですが、医療従事者に限ったことではないのですけれども、例えば、1日に10個のことを成し遂げようとしたとします。ところが、そのうちの8個くらいは上手くいったのに、1個か2個は上手くいかなかった。そのときについやりがちなのは、上手くいかなかった1個か2個のほうに焦点を当ててしまうということです。そして自分自身を痛めつけてしまいます。これは医療従事者の方によく起こることですが、それ以外の方にも、もちろん当てはまると思います。なので、「もっと現実的になりましょう」ということです。つまり、私は完璧な人間ではない、ということです。10個のうち8つとか9つとか上手くいったら悪くないじゃないか、ということです。例えば、ほとんどの試験は8割か9割できていたら合格ですよね?例えばホークスの選手でも、8割か9割プレーが上手くできていたらMVPものですよね?そういう意味で自分のケアをしましょうということです。いとも簡単に自分を痛めつけないということです。そして答えは簡単に出ないということを認識するということです。そして自分が全て答えを持っていないということに、居心地良くいられるようになるということです。